
ピアノ協奏曲第2番の楽譜を手に、
ショスタコーヴィチについて語る松田華音
©千葉秀河
ソヒエフ指揮N響とピアノ協奏曲第2番共演
松田華音
ショスタコーヴィチを語る
遠足の子どもたちのような第1楽章
「うれしいか、悲しいかどちらかではない。
つらさも交じった『前へ』の音楽」
松田華音がトゥガン・ソヒエフ指揮のNHK交響楽団定期演奏会(1月29、30日。サントリーホール)に出演し、2026年が生誕120年のショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第2番を弾いた。モスクワ音楽院でピアノを学んでいた長男、マクシムに贈られた作品。曲想も親しみやすく、軽めの曲と受け取られがちだが、幼少からロシアで学んだ松田にインタビューをすると、ショスタコーヴィチの音楽の奥深さや魅力が一層伝わってきた。
藤盛一朗◎本誌編集
──第1楽章は、どこか喜ばしい感じがします。素直にそうとれるのか、それとも無理をしてそう書いたのか──。
ピアノが出てくるところは、素直に愉快なマーチだと感じます。マーチというと堅くなりますが、子どもがとことこ並んで歩いている感じ。ソ連の映画でよく、遠足の場面が出てきます。ハイキングかなにかに出かける。荷物を持って、歌を歌って…。子どもは希望の存在です。短調(の第2主題)に変わるのは、「雨が降ってきたよ」といった心配事。その先で(84小節―)「ダンダダン」と、急に変わった音型が入ってきます。ここは「ちょっと待てよ」という感じです。
──《くるみ割り人形》のネズミのようなイメージでしょうか?
そうとる捉え方もあるかもしれませんが、私は、ここは、雨が降ってきたという日常のレベルの恐さだと思います。恐怖というと強すぎますが、自分ではコントロールできない、分からないものが現れたという感覚。ただ、その先、88小節からのフォルティッシモは、機械のイメージです。機関車のような動き。
「機械」に権力のイメージ

ソヒエフ指揮N響とピアノ協奏曲第2番を演奏する松田華音
(提供:NHK交響楽団)
──ゲルギエフも、ショスタコーヴィチの交響曲に頻繁に現れるモチーフをよく機械に例えていました。
技術の発展ではあるけれども、人間を押しつぶす「圧」でもある。押しつぶされる感覚や、自分たちでは止められない力です。その機械への恐さは、権力に対する恐怖でもあります。ベートーヴェンでいえば運命です。
この部分のオーケストラの中には、不安が描かれているかもしれません。逃げているような、追われるような…。「追われる」というのは、ソ連社会ではシンボリックです。自分が逃げないといけない、隠れないといけない。こういったものが実はこの曲には存在するのではないかと思います。
この曲は、子どものために書かれた曲。ですから、ファンタジーのレベルにとどめるのか。あるいは、こうしたシンボルを表現するか。それは解釈に委ねられます。そのことを思いつつ、直接は出さないという表現もあると思います。
不安と、第九に通じる前進性
──この曲は、ショスタコーヴィチとしては軽めの曲というイメージがありましたが、お話を聞いているとそうでもない。
ショスタコーヴィチ的な独奏(129―)から続く135小節からのオクターブの左手には、ソ連の巨大指向が現れているのではないか。道路でも、建物でもなんでも大きくしようとした。ここの左手は重く弾くようにしました。
そして、好きなのは173小節から。短調のテーマがコラールのように響きます。嘆きではないかもしれませんが、不安が現実になってしまった、いやなことが起こってしまったという感覚。それでもみんなで力を合わせて前に進もうという音楽でもあります。ベートーヴェンの第九のようです。そんなエネルギーがピアノの波のような音型に現れています。
異質なものを異質なままに
──1957年にピアノ協奏曲第2番に続いて作曲されたのが、交響曲第11番《1905年》。「血の日曜日」事件をモチーフにしつつ、嘆きもあり、前に進もうという音楽でもあります。両曲が同時期に作曲されていることを想い起こします。
ショスタコーヴィチは、複雑です。うれしいか、悲しいかどちらかではありません。うれしさと悲しさが同時にありうる。つらいも交じる。「でも前へ」という音楽。同時に、背中を押されるエネルギーを感じながらも、「どうしたらいいのだろう」という音楽でもあります。
カデンツァは、変化が多い。あっちに行ったり、こっちに行ったり落ち着きがない。常に何かを心配したり、恐れたりの当時の時代を反映していると思います。
落ち着きのないテンポ

©千葉秀河
──ショスタコーヴィチ自身の演奏の録音は聴きましたか?
聴きました。速い(笑い)。
──それにテンポが落ち着かない。
落ち着かない。どんどん速くなります。あの落ち着きのなさは、ショスタコーヴィチだから、あの姿で弾いていると思うから理解できる。落ち着きのなさを表現しているのだと分かる。もし私があのように弾いたら、大丈夫かなと思われてしまいます(笑い)。
──時代的には、独裁者スターリンが1953年に死去し、統制の緩んだ「雪解け」の時代。ですが、そう単純ではないということですね。
スターリンがいなくなっても、ショスタコーヴィチの中には時代のイメージがある。自分が経験したこと、感じたことは消されない。作曲家は自分の心を音楽にします。時代が変わったとしても、過去の自分は残っているので、それは必ず音楽に出てくるのだと思います。
第1楽章はカデンツァの後、子どもたちが戻ってきてまた、前に進む音楽になります。ピアノも動きがあります。
♢本誌で上下2回、連載するインタビューのうち、この原稿は「上」の抜粋です。第2楽章について語った部分など、全文は、本誌を手に取ってごらんください。
高松市生まれ。6歳からモスクワで学ぶ。グネーシン記念中等(高等)学校で学び、スクリャービン記念博物館から2011年度「スクリャービン奨学生」に選ばれ、外国人初の最優秀生徒賞を受賞し首席で卒業。モスクワ音楽院に日本人初となるロシア政府特別奨学生として入学、19年6月首席で卒業。21年モスクワ音楽院大学院修了。プレトニョフ、ゲルギエフ、バッティストーニらと共演。ドイツ・グラモフォンから2枚のアルバムが発売され、25年9月にユニバーサル ミュージックより 3枚目のアルバム「チャイコフスキー≪四季≫他」をリリースした。
札幌交響楽団
hitaruシリーズ定期演奏会 第25回
4月30日(木)19:00
札幌文化芸術劇場 hitaru
指揮:円光寺 雅彦
ピアノ:松田 華音
久石譲:《坂の上の雲― オーケストラのための》
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番
チャイコフスキー:交響曲第6番《悲愴》
問い合わせ:札幌交響楽団 TEL)011-520-1771