
金川真弓 ©Kei Osada
バッハやベートーヴェンを語る
「シャコンヌの長調部分は温かなG線で」
「音量を減らして『本物の美しさ』表現」
耳の超えた聴衆をうならせ、共演した指揮者や楽団から高く評価される若手ヴァイオリニストといえば、筆頭格は金川真弓。諏訪内晶子や小菅優をはじめ、室内楽の共演リクエストも絶えない。この3月には彩の国さいたま芸術劇場でバッハの《無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ》を全曲演奏。新シーズンもオーケストラとの共演が続く。ベルリンに住む金川に、バッハやベートーヴェンについてオンラインで聞いた。
藤盛一朗◎本誌編集
──バッハの無伴奏ソナタとパルティータの全曲演奏は偉業という言葉が似あいます。
楽章の数が多く、それだけキャラクターが多い。ソナタ、パルティータそれぞれ内面的な世界をつくらなければいけません。2時間の中にすべての世界が詰まっています。アンコールで一つの曲を取り上げて弾くのと、すべてを合わせて弾くのは違う。一枚の絵の中に入れて作品を弾くようなものです。人生の今の局面で全曲を弾くことに意味があり、幸せでした。一方で、まだ成長の余地があると感じた演奏会でもありました。

バッハの《無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ》
を演奏する金川真弓
photo:横田敦史 提供:彩の国さいたま芸術劇場
「練習曲に」と助言
──この曲は、ヴァイオリニストにとってどのような存在でしょうか?
ジョルジュ・エネスクが「ヒマラヤだ」と語ったのは有名なたとえです。忘れられないのは、以前にアナ・チュマチェンコのマスタークラスを受けた時、「練習曲として使いなさい」と言われたことです。クロイツェルやセヴシックなど弓のための教本があります。神の音楽としてバッハを敬して遠ざけるのでなく、練習曲としてぐるぐる使うのはどうかと。それが曲との親しみを育てることにもつながります。バッハは確かに、ヴァイオリンの技術面を押し広げています。弓をいろいろ扱えるようになってこそ、音楽を自由に表現できる。一種の教科書のようなものですね。偉大なものを日常の中に取り入れてしまう。逆に言うと、日常をバッハの水準に上げます。
──この曲には、宗教的な高みに通じるものがあるのではないでしょうか。だからこそ、コロナ禍の中でよく取り上げられたのだと思います。
このソナタとパルティータは、世俗の音楽として書かれました。教会の音楽ではない。民衆の踊りの音楽を使って書かれたものもあります。
一方で、バッハはいつも神の言葉や世界が自分の中にあったから、身近な舞曲にもその精神が入った面はあると思います。苦しみや喜び、好奇心…。昔の人も感情は同じだと思え、孤独を感じさせません。
苦しむ人間を守る世界
──パルティータ第2番の「シャコンヌ」には、敬虔な部分があります。
長調になるところですね。私には一番のポイントです。天使の声のようで、デリケート。光と感じて、そういう音を探したこともありました。
ですが、今は光を作りたいというより、こう考えます。苦しむ人間の周りには、それを守る世界がある。神かもしれない。ですから、デリケートというより、今は流れと自然さが大切だと感じています。その表現にふさわしいのは、温かなG線です。そして長調のクライマックスの後、短調に戻るところに心を打たれます。
──長調の部分は、温かな慈しみを感じさせます。
宇宙の鳴動というべきか…。仏教でも、苦しみはこの世のほんの一部のことだという考え方がありますね。宇宙の振動、キリストの愛…。いろいろな見方や呼び方があると思います。
人生は、自分を超えた大きなものの中にある。それは確かなことだと思います。そのことを実感させるのが音楽であるし、瞑想なのではないでしょうか。ただ楽しいというのでなく、深い喜びは、宇宙的なエネルギーとのつながりがあってこそもたらされます。
2度のカンタービレ 作る音の違い
──5月にはベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を演奏されます。第2楽章は、「シャコンヌ」の中間部につながると感じられます。とりわけ、45小節からと、71小節からのカンタービレと記された部分です。
確かに共通点がありますね。あそこは最初が弦、2回目は木管と一緒に弾きます。作る音が違います。最初は音量を減らす。細い線を集めて一本の線を作るように。一つ一つの素材はみえなくても全体は美しい。空に浮かぶ雲のようです。
あの旋律は、自分の中にひそめていないと壊れかねないようなもの。優しさです。
木管との2回目は、その自分の気持ちを世界に示します。歩みだします。
──ベートーヴェンが森を歩いていて、感謝の気持ちに満たされる。そのような感じもします。
思ってもみなかった、本物の美しさを見つけたというのはある。自分の中にとっておきたい大切なもの。私たちは、日常の中でいろいろなものを見逃しています。見ているようで本当には見ていない。忙しさの中でノイズを減らし、自分の中にあるもののスペースを作ることが大切なのではないか。そして、とても大切だと思うものに触れた時には、自分の中で守り、心の内側で育てていくことが大切だと思います。
♢この原稿は抜粋です。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の第1楽章や第3楽章、そして5月の演奏会で取り上げるストラヴィンスキーの協奏曲についても語っている記事全体は、MOSTLY CLASSIC6月号をお手にとってご覧ください。
2024年ジョルジュ・エネスク優勝をはじめ、19年チャイコフスキー第4位、18年ロン=ティボー第2位など上位入賞。24年日本製鉄音楽賞、25年ホテルオークラ音楽賞、出光音楽賞受賞。
日本全国のオーケストラ、欧州の有力オーケストラと共演を重ねている。室内楽やアウトリーチでは、トランス=シベリア芸術祭、ヴェルビエ音楽祭やラインガウ音楽祭等に、日本ではPMF、サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン、東京・春・音楽祭、国際音楽祭NIPPONにも出演。エクストン・レーベルより『リサイタル(RECITAL)』および『VOYAGE ―無伴奏リサイタル―』をリリース。
ドイツ生まれ。4歳から日本でヴァイオリンを始め、その後ニューヨークを経てロサンゼルスに移る。ハンス・アイスラー音楽大学でコリヤ・ブラッハーに師事。現在はブレーメン芸術大学で教えながらベルリンを拠点に演奏活動を行う。
使用楽器は、笹川音楽財団(旧:日本音楽財団)貸与のストラディヴァリウス「ウィルへルミ」(1725年製)。
華麗なるコンチェルト・シリーズ第33回「金川真弓の世界」
5月10日(日)14時 横浜みなとみらいホール
ヴァイオリン:金川真弓
指揮:粟辻聡
メンデルスゾーン:序曲《静かな海と楽しい航海》
ストラヴィンスキー:ヴァイオリン協奏曲
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲