
トランペット奏者からみた交響曲第5番終楽章コーダを
語ったクリストーフォリ
ショスタコーヴィチの交響曲第5番
終楽章コーダ
ピサの斜塔のようなスターリン賛歌
第3楽章終結部
希望の光はモレンドで
2026年が生誕120年のショスタコーヴィチ。人気曲、交響曲第5番の終楽章コーダや第3楽章をめぐっては、さまざまな解釈がある。日本フィルのソロ・トランペット奏者、オッタビアーノ・クリストーフォリは、終楽章コーダに、ピサの斜塔のような、傾いた「賛歌」をみると語る。
藤盛一朗◎本誌編集
──日本フィルの前首席奏者、ラザレフのショスタコーヴィチは、どんなところが素晴らしかったのでしょう?
いらないものがなかった。イタリアのパスタがオリーブオイルとニンニクだけ、またはトマトソースなどシンプルなのと同じことです。ラザレフはスコアに書いていることを守ります。余計なことをしない。そこから音色など、出るものが出ます。今の首席指揮者のカーチュン・ウォンも同じです。
そして、ラザレフはソ連出身です。ショスタコーヴィチの生きた時代や歴史、音楽とのかかわりを私たちに伝えてくれました。
──ショスタコーヴィチの音楽では、トランペットにはどのような音が求められますか?
トランペットには本来、さまざまな音が求められます。楽器もアメリカ、ドイツ、ウィーン、フランスはまったく異なります。
マーラーの場合は明るい、暗いといったパレットがさまざまです。ショスタコーヴィチは、音色の種類より、テンション。限られた音の中でニュアンスが問われます。少しだけで、全然違ってくる。マーラーは、たまに太陽のような音を求めます。ハイドンの《天地創造》のような。ショスタコーヴィチにそれはない。内側からの緊張であり、暗さです。
ラザレフが示した絵
──一方で、交響曲第8番第3楽章のような、おどけたような、吹き方によってはヒロイックなソロがあります。
おもしろくしたいのでしょう。ストラヴィンスキーの《ペトルーシュカ》。ソロは楽しい雰囲気で出てきます。ですが、ショスタコーヴィチのあそこは、楽しそうだなと思わせて、すぐ怪しくなる。
ラザレフがリハーサルの時、こちらにやってきて「この絵を見なさい」と言った絵があります。ルネッサンス期のヒエロニムス・ボスの絵画。(人々が踊り呆けているが、その傍らで怪物が口を空けて吞み込もうとしている。その絵をスマホで示す)。音のイメージというより、この音楽の雰囲気や、ショスタコーヴィチの生きたソ連社会を伝えたかったのだと思います。ショスタコーヴィチの音楽を演奏するには、やはり歴史を知らなくてはいけない。知識なしでは、ただサーカスのように演奏することになってしまいます。
──ショスタコーヴィチのトランペットの書き方をどう思いますか?
すごく上手な奏者を知っていたということでしょう。テクニック上も、書き方も、音の高さや長さも、限界まで書いています。
終楽章コーダのトランペット──。(歌う)ここは、明るかったり、速かったり、壮麗に演奏されたりする。でも、書き方をみると、ここはわざと、トランペットが簡単にできないことを無理に吹かせようとしています。指定通りのテンポ、八分音符=184だったら、すごく遅くなる。(初演した)ムラヴィンスキーのテンポも遅い。
なぜか。それは、スターリンの賛歌だから。スターリンの賛歌を書くべきだという(権力側からの)要求や期待があり、書いたけれどもどうしてもそれは、地震のようにぶるぶる震えるものになった。高い建物を建てようとしたが、その建物は弱い。それがこの部分の意味だと思います。
今はみんなトランペットが上手だからできる。でも、初演当時は、このテンポとフォルテだったら、きれいに演奏するのは無理だったのではないか。ショスタコーヴィチの書き方は本来とても上手だから、これはわざと書いたと思う。今のCDならきれいに聞こえる。でも、昔のライブはいつもきつそうです。休みがない。楽譜通りに吹くのは難しい。
──不思議なのは、この部分は他の楽器はすべてフォルテ三つなのに、トランペットのみ、フォルティッシモであることです。
最後までいってほしいからです。もしフォルテ三つだったら、途中で死ぬ(笑い)。若い時に思ったのは、せっかくトランペットは3人いるのだし、もう少しきれいに書けなかったのだろうかということ。建物は高すぎて傾いてしまう。まるでピサの斜塔のように。それを故意にやったと感じるのです。
11番の始まり、8番第1楽章の結び
──他で印象的な部分は?
ショスタコーヴィチは本来、雰囲気を作り出すことにとても長けた作曲家です。交響曲第11番の始めの方のトランペット・ソロ。ここだけで、何か(血の日曜日事件)が起きることが示されます。カーチュンの11番はとてもよかった。
第8番第1楽章終結部のトランペット・ソロも印象的です。トランペット・ソロにはもともとヒロイックなだけでなく、悲しみやメランコリーを表す役割があります。この8番のソロも明るい音ですが、悲しみが宿る。
5番では、トランペットは吹きませんが、やはり第3楽章が感動的です。全体が苦悩を語っていて、(練習番号89の)シロフォンとヴァイオリンは悲嘆の叫びのようです。それが、ハープとチェレスタに導かれ、終わりの音は嬰へ長調になります。遠くから光がみえる。ここには希望があります。すごい音楽だなと思います。
ナチズムでもイタリアのファシズムでも、悲惨の中に少しだけでも希望はある。希望は人間には本能のように備わっているものです。状況がよくなるには20年、50年、100年かかるかもしれない。それでも希望はあるということ。
ショスタコーヴィチは、国や民族を超えた人類の音楽です。ファシズムの歴史を持つイタリア人である私も理解できる。ショスタコーヴィチが生きた時代は、明日また、どこでも起きうることです。第3楽章はトンネルのような先の光を示しています。ショスタコーヴィチの語り口は、とてもソフトです。モレンド(消えるように)でその希望を表すのです。
♢この原稿は抜粋です。記事全体は、MOSTLY CLASSIC7月号をお手にとってご覧ください。
イタリア・ウーディネ市出身。10歳からトランペットを始め、ウーディネ音楽院卒業。シカゴ響のメンバーに師事し研鑽を積み、イタリアの主要オーケストラに客演。 米国で行われたオーディションを経て2008年に兵庫県立芸術文化センター管弦楽団の第1トランペット奏者に。09年に日本フィルに入団し、現在ソロ・トランペット奏者。