
「ブラームスは、生や死について自分の考えを
レクイエムで表現したいと思った」と話す尾高忠明
大阪フィル音楽監督
尾高忠明
ブラームスとラフマニノフを語る
人生の希望表す《ドイツ・レクイエム》
ラフマニノフは「あるががまま」に
尾高忠明が、音楽監督を務める大阪フィルの第600回定期演奏会で、ブラームスの《ドイツ・レクイエム》を指揮した(7月17、18日。フェスティバルホール)。作品のメッセージと感動を聴衆の心に深く届ける演奏。《ドイツ・レクイエム》の世界と、ツィクルスが進行中のラフマニノフについて語ってもらった。
藤盛一朗◎本誌編集
ドイツ語訳聖書からテキスト
──ブラームスの《ドイツ・レクイエム》のすばらしさとは?
ブラームスは、シューマンが亡くなり、絶望的な気持ちになりました。「ベートーヴェン以降、交響曲の書き手となりうるのはブラームスにほかならない」と評価してくれた人。ですが、ブラームスにはこの評価がプレッシャーとなり、ベートーヴェンの5番のすごさから抜けられなくなりました。交響曲をなかなか書けずにいた時、取り組んでいたのは合唱指揮です。それもあって、シューマンの死を契機にレクイエムを書きたいという気持ちが募りました。そして母が亡くなる。ブラームスは、自分の考える人生や、死後の未来について、彼なりの答えをレクイエムで表現したいと考えました。
ブラームスはルター派。ドイツ語訳聖書に精通していたので、聖書の言葉を構成し、死は災いではなく、素晴らしいことでもある、人は生き返るのだということを表現しようとしたのでした。シューマンも母も戻ってくるのだという確信です。《ドイツ・レクイエム》とは、ラテン語でなく、ドイツ語による自分で書いた台本に基づくレクイエムなのです。
「幸いである」に重み
──ブラームスの書きぶりはいかがでしょうか?
初めの「悲しむ人は幸いである」に実にきれいな音楽をつけている。一番初めから素でこの美しさを示すのは、作曲に自信がなければできないことです。
続く第2曲の「人はみな草のごとく」のところ。「花が散る」のを本当にはらはら落ちるような音型で書いています。農夫が雨を待つように、主の来臨を待つというところ。フルートとハープは、雨だれのようです。
第6曲は最後の審判。ブラームスが書いたのは、ヴェルディの《レクイエム》の恐ろしさとは全く違う。それによって肯定され、歓喜がくるのだという良い方向の終わりです。ここはコントラバスがずっとレ音を5分くらい、弾かせる。これはとても大胆なことです。
第7曲は、第1曲と同じ、「幸いである」という言葉が繰り返される。「死にゆく者は幸い」。ここは、1曲目が二分音符+二分音符だったのに対し、6拍も伸ばして幸せを強調します。死者は幸せであると堂々と歌う。1曲目と7曲目、第2曲と第6曲はシンメトリーになって実に良いバランスです。
全体は1時間10分くらいかかりますが、振っていても長いと感じない。
──聴いていても同じです。
中身が優れているからです。合唱指揮を長くしていただけあって、合唱パートも歌心を分かって書いている。どのパートにも無駄な音型がありません。バリトンが歌えばドラマが進み、ソプラノにはこれ以上かれんで美しいものはない楽譜が用意されている。
──今年は大阪で演奏が集中しますが、ふだんはあまり演奏されません。
私は東京フィルでも札響でも、ヨーロッパでもやってきました。ただ、コーラスが本当に難しい。激しい第6曲の後に、終曲の第7曲を美しく歌わねばならない。美しい声で「ゼーリッヒ(幸いである)と伸ばす。横隔膜が震えてなかなかもちません。今回の練習で合唱団に最初に言ったのは、「お願いだから、7楽章までもたせてください」ということでした。休んで立ち上がる時も、次の曲をイメージした立ち上がり方にしてくださいとお願いしました。大阪フィルハーモニー合唱団(合唱指揮・福島章恭)は、非常にうまくなりました。練習の時にはパートリーダーと振り返るのですが、「あすこは改善したい」「ここは…」という話が出てくる。その判断が実に適切でした。

《ドイツ・レクイエム》を演奏する尾高忠明指揮大阪フィルと大阪フィルハーモニー合唱団
(大阪フィル提供)
持続レ音の意味
──第6曲の先ほどの低弦の持続するレ音は、何を意味していると思いますか?
絶対に平和・平安がくるという意志の力。何が起きても大丈夫だという安心感の表現です。
──Deus(神の)のD(レ音)という意味もあるのでしょうか。
もちろんです。ニ長調(D-dur)はそうです。それにしてもこれだけの音楽を書きながら、この時点でまだ交響曲が書けないというのは、よほどシューマンの書いたことが重荷になったということです。
──大阪フィルとは、定期とは別にラフマニノフのツィクルスが進行中です。
ブルックナーやメンデルスゾーンに取り組んできて今になりました。
ロシアの音楽の発展がなぜ、西欧より遅れたかといえば、ロシア正教会が教会での楽器の使用を禁じたからです。19世紀になってようやく「五人組」が出てきましたが、ムソルグスキーも作曲はちゃんと勉強していない。それに対し、ラフマニノフやチャイコフスキーは西欧の作曲技法をしっかり学んだ人です。
チャイコフスキーの音楽は、よく鳴ります。3管や4管で書きたかったが、先生に抑えられ、2管にとどめた。それでも実によく鳴ります。ラフマニノフはチャイコフスキーの音楽に感動し、チャイコフスキーがとてもかわいがったのもラフマニノフでした。
2人ともメロディーは豊富。ラフマニノフは日本ではピアノ協奏曲の第2番と第3番ばかりが有名ですが、作品が少ないのは米国に行ってピアニストとしての活動があまりに忙しくなったためです。
──ラフマニノフは人生で大きな挫折を体験しました。
交響曲第1番の初演です。指揮はグラズノフで、自分の作品ばかりを練習した。当日は酔っぱらっていたという話もあります、こっぴどくたたかれました。ノイローゼになってピアノも弾けなくなる。医師に支えられ、書き上げることができたのがピアノ協奏曲第2番です。作品はその医師にささげられました。
──次回の公演では、交響曲第2番を指揮します。
何度もやってきた曲です。大阪フィルでも8年前に指揮しました。この間、ベートーヴェンを2回のほかブラームス、チャイコフスキー、ブルックナー、メンデルスゾーンのツィクルスをやっていますから、オーケストラも自分も違っている。その違いは演奏に出てくると思います。
──ラフマニノフの音楽の感情表現の考えは?
ぼくはあるがままがいいと思っています。チャイコフスキーの5番でも、日本ではいまだに崩しすぎの演奏が横行している。骨組みがみえるほどテンポを変えるのは、ぼくは自分の心も身体もいやです。
スヴェトラーノフのテンポ
──2番の第3楽章は特別な音楽です。
美しい。ぼくはある程度のテンポですけれど、スヴェトラーノフさんのテンポは遅かった。あんなに遅いのはすごいと思っていたら、N響の楽員が言っていました。「スヴェトラーノフ先生は遅くしたくない。でも、あの指揮を見ていると、テンポがどんどん遅くなってしまう」と。
同じオーケストラでも、8年前と違いは出るでしょう。木管の奏者も変わっています。歌心の持ち方は人それぞれです。奏者たちには、遠慮しないで自分の演奏をしてほしい。よく言うのは、フェスティバルホールのすみずみにまで音を届けようということです。
◆大阪フィルハーモニー交響楽団 第600回定期演奏会
7月17日(金)、18日(土)
フェスティバルホール
指揮:尾高忠明
ソプラノ:吉田珠代
バリトン:青山 貴
合唱:大阪フィルハーモニー合唱団(合唱指揮:福島章恭)
ブラームス:《ドイツ・レクイエム》
◆ラフマニノフ・チクルス─永遠の浪漫─
8月28日(金)19:00
ザ・シンフォニーホール
指揮:尾高忠明
ピアノ:エヴァ・ゲヴォルギヤン
管弦楽:大阪フィルハーモニー交響楽団
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第4番
ラフマニノフ:交響曲 第2番
10月1日(木)19:00
指揮:尾高忠明
ピアノ:ベンジャミン・グローヴナー
管弦楽:大阪フィルハーモニー交響楽団
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番
ラフマニノフ:交響曲 第3番