「ベートーヴェンの協奏曲は高い山」と語るポール・ホワン
準・メルクル=台湾フィルと日本ツアー
ポール・ホワンが語る
ベートーヴェン
ヴァイオリン協奏曲 祈りの第2楽章
聞き手 垣花理恵子◎本誌編集
5月末に始まる準・メルクル指揮台湾フィルハーモニックの日本ツアー。ソリストとして全日程に出演する台湾出身の気鋭のヴァイオリニスト、ポール・ホワンに、プログラムのベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、ブルッフの二重協奏曲で共演する今井信子との関わり、幼少期のヴァイオリンとの出会いなどについて聞いた。
──ホワンさんとヴァイオリンの出会いについて教えてください。
始めたのは7歳で、ヴァイオリンを始める年齢としては遅いのですが、そこにはある体験が影響しています。私のふるさとの台南で、ある日ヴァイオリン・リサイタルがあったのです。演奏を聴いた私は、催眠術にかかったようになってしまいました。あの小さな木の箱が広いホールの隅々にまで音を響かせる! その音色は人の声のように聴こえました。それまでピアノやマリンバを学んでいたのですが、リサイタルの体験を忘れられなかった私は両親に、「ヴァイオリンが弾きたい」と頼んだのです。
台南でのヴィエニャフスキ
──その時のヴァイオリニストは誰だったのでしょう。
覚えていないのです。著名な音楽家ではなかったと思います。しかし、曲目ははっきり覚えています。ヴィエニャフスキの《華麗なるポロネーズ》ニ長調。ちなみに私が今弾いているヴァイオリンは、ヴィエニャフスキが使用していた1742年製のグァルネリ・デル・ジェズ・クレモナです。
──7歳で出会った楽器そのものと音楽が人生を変えたということに感動を覚えます。
私は子どもの頃、とても恥ずかしがりで、言葉を使ってどう人と接したらよいのかわかりませんでした。しかし、ヴァイオリンを始めてまもないある時、教会の日曜の集まりで私がヴァイオリンを弾き始めると、騒がしかったみんなが急に静かになり、演奏に耳を傾けてくれました。最高の体験でした。これが私の最初のコンサートです。今、大人になって振り返っても、まさにこれこそが音楽の力なのだと感じます。人々が言葉を介さずとも一緒にいられること。音楽で人をつなげる。それが愛してやまない私の使命です。
──ベートーヴェンの協奏曲は、ヴァイオリニストにとってどんな喜びとチャレンジがありますか?
この作品は高い山です。登るためには十分なスタミナが必要で、しっかりした芸術的ヴィジョンを持ちあわせなければいけません。一生かけて学ぶ芸術です。ルーヴル美術館の「モナ・リザ」のような偉大な作品は、一度見ただけで圧倒的に心を動かされますが、それで終わらず、いつなんどきでもそこに足を運んで体験したくなる。ベートーヴェンの協奏曲も同じで、歴史と時間の試練を超えて永遠に残る作品です。演奏するたびに成長させてくれる作品です。
ト長調 D線の歌
──長い第1楽章のあとに、祈りのような緩徐楽章が続きます。
第2楽章は、たしかに祈りであり、深く精神的な音楽です。オーケストレーションはシンプルで、教会に集まる人々が歌う聖歌に似ています。そこにソロ・ヴァイオリンが加わる。最初はほぼメロディがなく、オーケストラが神聖な旋律を奏でているところに、私が入っていく──静かに祈りを捧げ、コメントをするようなイメージです。やがてヴァイオリンがメロディを奏で始めるところでは、やっと神が私を憐れんでくれ、歌っていいぞとゆるしをもらったような気持ちになります。メロディはD線を使ったト長調。(4つの弦のうち下から2番目の)D線は「間に在る」という意味も担い、精神性の高い音を出したいときによく使われるのですが、ベートーヴェンはそういう特別な音色で第2楽章を奏でたかったのだと思います。
音楽的メンター、今井信子
──ブルッフの二重協奏曲で共演するヴィオラの今井信子さんとは、これまでにどのような関わりがありましたか。
今井さんと私は20年来の知り合いです。最初に会ったのは15歳の時で、韓国で室内楽を共演しました。つい最近も私が主催している台北の国際室内楽音楽祭に出演されました。今井さんは若い人のために惜しみなく時間を使ってくれる方。私がたいへん尊敬する音楽的メンターです。
──共演への期待は。
もっともドイツ・ロマン派的なブルッフの作品を通して、音楽的な対話をするのを楽しみにしています。本物の芸術家である今井さんの音楽を開かれた心で聴き、さらには彼女の生き方を知ることも重要な学びです。今井さんと台湾フィルとの東京オペラシティでの共演は、国際的な大家族が一緒に演奏するような感覚です。協奏曲というよりは、70人の室内楽でしょうか。
──ホワンさんは室内楽の活動にとても力を入れておられます。台北での「ポール・ホワンと仲間たち」の活動内容は。
マエストロ 準・メルクルの依頼を受け、3年前に始まりました。毎年、1月の第1週に開催しています。台湾フィルのメンバーに室内楽を学んでもらって、音楽家としても成長し、オーケストラにも寄与してもらうのが狙いです。誰がどの曲に参加するかは、全て私が決めています。一人ひとりの強みと弱みを勘案し、どこで輝いてもらおうかと想像しながら進めます。今井さん、チェロのダニエル・ミュラー=ショットさん、ホルンのラドヴァン・ヴラトコヴィチさんなどゲストも迎えて、幅広いレパートリーで続けてきました。今年はスメタナのピアノ・トリオ、バロック音楽などを取り上げました。
台湾出身。7歳でヴァイオリンを始め、ジュリアード音楽院で学士号と修士号を取得。ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管弦楽団、スラットキン指揮デトロイト交響楽団、ルイージ指揮ダラス交響楽団、メルクル指揮広島交響楽団、台湾国立交響楽団などと共演。リンカーン・センターの「Great Performers」シリーズや、ルツェルンをはじめ世界各地の音楽祭で演奏。室内楽では、ギル・シャハム、今井信子、ミッシャ・マイスキー、ワン・ジェン、イェフィム・ブロンフマンらと共演。CDは、「細川俊夫管弦楽作品集」、第二次世界大戦期に作曲されたプーランクやプロコフィエフの作品を現代と共鳴させるコンセプトのアルバム「MIRRORS(鏡)」など。
5月31日(土)14:00 熊本県立劇場コンサートホール
6月1日(日) 14:00 ザ・シンフォニーホール(大阪)
ポール・ホワン(ヴァイオリン)
森麻季(ソプラノ)
タイラン・シァオ[蕭泰然]:フォルモサからの天使
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
マーラー:交響曲第4番
6月2日(月)19:00 サントリーホール
ポール・ホワン(ヴァイオリン)
台北フィルハーモニック合唱団 [台北愛樂合唱團]
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
コーチァ・チェン[陳可嘉]:《故郷の呼び声》 (客家委員會創作委託/世界初演)
ゴードン・チン[金希文]:交響曲 第5番 第3、 4楽章 (日本初演)
*コーチァ・チェンの《故郷の呼び声》は、文化的な助成を行なっている「客家委員会」の委嘱作品である。ゴードン・チンの交響曲第5番は、「許遠東と夫人の記念文教基金会」より委嘱されたものである。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、李登輝(第4代中華民国総統)の最も愛したクラシック音楽の一つで、許遠東(中央銀行総裁歴任)が結婚した際にこのヴァイオリン協奏曲のレコードを結婚祝いに贈ったというエピソードがある。(台湾フィルより)
6月4日(水)19:00 東京オペラシティ コンサートホール
ポール・ホワン(ヴァイオリン)
今井信子(ヴィオラ)
宮地江奈(ソプラノ)
タイラン・シァオ[蕭泰然]:フォルモサからの天使
ブルッフ:二重協奏曲
マーラー:交響曲 第4番