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vol.155 テノール 西村悟

テノール 西村悟
舞台上演版《詩人の恋》への思いを語る西村悟

舞台上演版 詩人の恋

「目線をお客さんに合わせ、分かりやすく」

 テノールの西村悟が5月9日、東京文化会館小ホールでシューマンの歌曲《詩人の恋》を歌う。「オペラティックリート」と題し、演出を取り入れ、舞台作品として上演。ドイツ・リートを初めて聴く聴衆との垣根を取り払う。かつての少年野球のコーチなど、熱心に公演を聴きに来てくれる人たちを思い浮かべつつ、お客さんに喜んでもらえる舞台を届けようと張り切っている。

藤盛一朗◎本誌編集


──オペラ公演が中心だった西村さんが、歌曲を歌うようになったのは、コロナ禍がきっかけだったと知りました。

 三密を避けるといわれ、オペラが敬遠される中、歌曲をやってみようという思いが生まれました。ちょうど仲道郁代さんから、《詩人の恋》の共演(2021年2月)という光栄なオファーを受けました。ただ、連作歌曲集を歌うのは初めて。戸惑いもあったのですが、オペラとして立ち向かってみようと思ったら、楽になりました。作品の物語にも助けられました。
 シューベルトの《美しき水車小屋の娘》も歌いました。勉強して初めて主人公は川に身投げをするのだと知りました。19番の小川との対話。だから20番の結びが子守歌となる。ですが、初めて聴きに来てくださった方には伝わるのかどうか。ずっとその思いがあり、舞台にしたらと考えました。それが「オペラティックリート」の発想です。

──リートを神聖視する聴衆の中には保守的な人もいます。

 そういう方のためにだけ歌えばよいのかという思いがあります。クラシック音楽をあまり知らない方、オペラであれば《カルメン》や《蝶々夫人》に触れた方が歌曲も聴いてみたいと思った時に、そのきっかけを提供したい。敷居を下げ、目線を合わせたい。「ドイツ語を勉強してください。そうすればこの曲の良さが分かります」というコンサートは、傲慢ではないでしょうか。アーティストの側がもっと工夫するべきではないかとずっと思っていました。

すそ野を広げる使命

──とても共感するお話です。もともとアウトリーチにも力を入れていたのでしょうか?

 関心があって(一般財団法人の)地域創造の事業に応募して地方へ行きました。コンサートの他、幼稚園や支援学校なども回る。まさにやってみたかったことでした。クラシックを聴いたこともない人に良さを伝える。アーティストとしての使命は、すそ野を広げることにあると思っています。まずは地元のホール、次に東京の新国立劇場、その次はミラノのスカラ座に行ってみようかという広がりの橋渡しをしたい。

──さらにさかのぼれば、そうした思いはどこから生まれたのでしょうか?

 私は千葉の出身です。歌手としての駆け出しの10年前のころ、生まれた地区の人たちが毎回、バスで来てくださるようになりました。多い時は、バス2台で100人。中心になって呼びかけてくれたのは、少年野球のコーチです。集まるのは、クラシックを聴いたことがなかった方々ばかり。そういう人たちが藤原歌劇団の《椿姫》や新国立の《夜叉ケ池》に来てくれた。もっとクラシックを身近にしたいという思いが募りました。伝わる音楽をしたいという思いです。

苦悩の中で生をとる主人公

──《詩人の恋》の物語はどのように捉えますか?

 恋の喜び、失恋、苦悩。苦しみでおかしくなってしまいますが、それをしまいこんで生きていく。シューベルトの《水車小屋》の主人公は死を選びましたが、ハイネの詩によるこちらは生をとった。苦悩を抱えながら生きていく。それは、今の私たちにもつながるテーマです。時系列が流れるように作られている。オペラとほとんど変わりません。

──シューマンの音楽は、声楽家としてはどんなふうに感じていますか?

 シューベルト以上に、私の声に合っています。言葉の数が少なく、一つの言葉にメロディーが書かれている。「リーベ(愛)」という言葉にも、シューマンはメロディーがあります。イタリアのオペラに近い感じです。そういう面で歌いやすいのかと。シューベルトは素晴らしいが、シューマンはもっとメロディックに感じます。

──もともとはイタリア・オペラですね?

 留学もヴェローナでした。以前はオーケストラに負けない声をどう作るか。今は表現が課題です。大人の音楽をしていきたい。オペラ以上に、歌曲のピアニッシモは、もっともっと小さな音が使えます。フォルティッシモとの振れ幅が広がります。歌曲ができると、もっと繊細な響きで歌える。オペラでも表現の幅が広がると思っています。

──リートで忘れられない歌手体験は?

 ヴンダーリヒの《詩人の恋》は若々しい。ペーター・シュライアーには何種類か録音がありますが、晩年のものがすごい。一音にかける熱量の大きさ。年を取ってからの方が言葉の重みが増しています。

──今回の舞台構成は?

 構成や舞台装置、動きなどは基本的に自分で案を作り、演出の岩田達宗さんに伝えています。ダンサーも登場します。《詩人の恋》は16曲からなりますが、もともとは20曲あった。その省かれた4曲や、シューマンがクララに献呈したピアノ・ソナタ第1番第2楽章などを前半で演奏します。
 ふつうのリーダースアーベントと違い、動きや照明を加えることで客席への情報が伝わります。そのうえで詰まった歌曲の良さをあぶりだしたいと思っています。


Nishimura Satoshi

日本大学芸術学部音楽学科卒業、東京芸術大学大学院修了。イタリア声楽コンコルソ・ミラノで大賞、リッカルド・ザンドナーイ国際声楽コンクール第2位及び審査委員長特別賞、日本音楽コンクール第1位及び聴衆賞。
2016年には大野和士指揮バルセロナ交響楽団とメンデルズソーン「讃歌」を共演してヨーロッパ・デビュー。オペラで新国立劇場、日生劇場、藤原歌劇団はじめ様々なプロダクションに出演。2017年、びわ湖ホールプロデュースオペラ沼尻竜典指揮《ラインの黄金》のローゲ役で絶賛された。音楽を身近にしたいという想いから全国各地でアウトリーチ公演も重ね、普及活動も力を入れる。藤原歌劇団団員。

ここで聴く

<オペラティックリート Vol.1>

シューマン 詩人の恋 (舞台版) =原語上演・字幕付き
5月9日(金)19:00 東京文化会館 小ホール

出演:西村悟(テノール)、河原忠之(ピアノ)、細田琴音(ダンサー)。岩田達宗(演出)
問い合わせ:ジャパン・アーツぴあ TEL:0570・00・1212